おんぶにだっこで生きる

31歳無職の自分語り

2019年8月~12月、快適なニート生活のために

2019年1月、正月休み・冬休みが明け仕事が落ち着いた頃合いに、上司に仕事を辞めたい旨を伝えました。

しかし、そうかお疲れ!とはならずとりあえず後任を探す、ちょっと待ってくれと言わそずるずる働いていました。

その上司は自分にとっては良い人でお世話になったと感じていたので、迷惑をかけたくないなという気持ちが強く、後任が来るまでしっかり働こうと思っていました。

 

そのまま春休みを終え、GWを終え、夏休みを終え、9月にようやく後任の人が決まりました。

9月10月は普通に働きながら引き継ぎの業務をしていましたが、完全のこの辺から無職になれる高揚感で最高の気分でした。

11月と12月は有給の消化をしつつ週1で出勤していました。

そのとき、質はどうあれ代わりはいくらでもいるなぁと感じたのを覚えてます。

 

10月までは普通に働いていましたが、残業も休日出勤もなしだったので、久しぶりに色々と溜まってたゲームをしたり休みの日に散歩したりとかなり精神的に余裕が出てきてました。

 

11月からは有給消化期間に入り、週1で顔を出して問題点を指摘するだけで、実質ニート生活の始まりでした。

12月は1日と最終日だけ出勤でしたが、4回送別会を開いていただきました。

おばちゃんスタッフ・大学生たち・他店舗の店長たち・お客さんと週1で飲みに行ってました。人に恵まれました。

 

『やったこと・買ったもの』

・ゲーミングチェア

自室にいることが増え、いままで使っていた5000円くらいの椅子ではケツが痛くなったのと、姿勢が悪くなりそうだったので買ってみました。

時間はあったので、試座できる店に出向き一番しっくり来たものを買いました。

AKRacingのPro-Xの白黒カラーです。

1年以上使ってますがめちゃくちゃいい買い物でした。これがなかったらニート生活が続いていなかったと思います。

 

・PCの増築・周辺機器

大学1年のときに自作PCを組み立てたのを最初に、ちびちびとパーツ交換を繰り返していました。PUBGが流行ってた頃くらいまでやってましたが、店長になって忙殺されてる間は置物でした。

グラボはそのバトロワブームの頃に交換したGeForce1070で今でもギリ戦えそうだったので交換しませんでしたが、HDDは全部抜き、SSD2TBを2枚追加しました。

SSDがかなり安くなってるように感じ驚いて買いました。

そのときに静音性を極めてみようとCPUファンとケースも新調しました。

ゲーミングチェアの試座をしに行ったときに、ついでにモニターとキーボードを買いました。

赤軸大好きおじさんです。パーツを光らせるのは嫌いです。

 

・腕時計

父親の影響か、自分は腕時計派で、スマホで確認するからいらないと思わない人です。

大学卒業後の買い物で一番使ったのが18万くらいの腕時計だと思います。

その腕時計をずっと使っていたのですが、機械式だったのでニートになり着けない日が続くと止まってしまうんですよね。

そこで貯金もあったのでデザインが好みの30万円代のクォーツ時計を購入しました。

機械式一択と思っていましたが、クォーツ式めちゃ便利ですね。ズレない。

 

・ホロライブ、Vtuber

Youtubuを見る機会が格段に増え、そのときに出会いました。

輝夜ルナなどがバズってたりしてましたが、こちらは生放送主体の沼ですね。

紫咲シオンちゃん推しです。シオンしか勝たん。

ラジオ感覚で視聴しています。

 

・Switch・リングフィットアドベンチャー

Switchは持っていなかったのですが、運動不足になりそうなニート生活に向けて購入してみました。

ちなみに1ヶ月でクリアして辞めました。きつすぎぃ!

この頃は知る由もありませんでしたが、コロナが流行り売値が高騰してたので夏に売りました。

 

・海外ドラマの消化

高校3年の頃にプリズン・ブレイクを観たのが最初だったと思います。

スーパーナチュラル、HEROES、LOST、バーン・ノーティス、ゲーム・オブ・スローンズなど観てきました。

いつのまにかHEROESリボーンとかプリズン・ブレイクの続きとか出てたりGOTが終わってたりと、驚いたのと同時に働いている間にまったく情報を入れてなかったことにも驚きました。

ちなみに24は好きじゃないです。

今までのをアマプラで見返したり、新しくザ・ボーイズというのを観始めたりしました。

 

 

 

有給消化期間はこんな感じで早くも自堕落な感じで過ごしていました。

 

頑張らないで生きる

眠れない夜に書こうと、1週間ほど前にブログを作って記事を投稿したはいいが、ここのところ寝付きがよかったため記事を投稿していなかった。

 

ニートになってからの事を1ヶ月単位で振り返り書いていこうと思っていたが、この1年間での心境の変化によって不眠はそこそこ解消されているみたいだ。

尤も、不眠といっても人並みに死にたいと思ったり、将来を悲観してのことなのでさほど深刻なものではなかったのだと思う。

 

ともあれ、人生に関して一応悲観的にならずに済んでいるのはこの記事のタイトルや、このブログの名前にもあるように、頑張らずに生きることにした、誰かに甘えておんぶにだっこで生きることにしたからです。

 

頑張るのは悪いことではないです、むしろ推奨されると思います。

でもそれは自分に守るものがある人(家族や信念など)や、やりたいこと叶えたい夢がある人が頑張ってこそだと思います。

自分には頑張る理由が見当たりませんでした。環境に甘え恵まれていると思います。

同じように頑張る理由がなくとも生きるためだったりで仕事を頑張っている人が大多数だと思います。それが普通ですし、社会で生きる真っ当な人間だと思います。

でも自分はその普通から脱落し、無職になりました。それ以前に私の働いていた8年間は非正規での雇用で、人に誇れるようなものではありません。

 

今から仕事を探して頑張っても、守るものも理由もない自分は、過去の頑張らなかった自分(今の自分)を許せなくなるだけで虚しくなるでしょう。そしてまた無職になりそうです。

同年代と比べて色々と劣等感で潰れてしまいそうです。

 

そこで自分は仕事や収入などの普通以外で幸せを感じて、普通ではないけども幸せだという人生にしたいと思いました。

というよりも、今から、一般的ないい会社で仕事して安定して収入を得て、普通に幸せですね。っていうのは無理だと思ったから逃避する感じです。この先普通に頑張って働いてきた人と同じように生きるとなると、今まで頑張らなかったツケが回ってきてどう足掻いても良い方向になるとは思えませんでした。

普通に働いている人に対して自分が対抗できることは好きなように生きているぞ!ということしかないというだけです。

とことん国や親に寄生して、他人よりもストレスを少なく生きて働いている人より幸せだと思い込めるようにしたい。

 

 

そう思うようにしたいけど、現実に今、不安とか劣等感とかそういうので寝れない自分がいるというね。

レールから外れるというのはやはり恐怖ですね。

8年弱の労働と、辞めた理由。

2019年12月に仕事を辞め、晴れてニートとなりました。

2012年3月に大学を卒業してから、7年と9ヶ月ずっと同じ会社に勤めていました。

ただ、その8年弱の期間は、正社員ではありませんでした。アルバイト→契約社員です。

そうなったのは当然、就職活動に真面目に取り組まなかったからです。が、特に後悔はありません。

就活をしなかったのは必然で、学生時代の生き方を思えば、そうなるに決まっていたからですし、それが自分自身だと思っています。

 

僕の学生時代は努力とは無縁で、工場のラインよりも淀みなく進んでいました。

親の遺伝で頭はそこそこ、なんの苦労もなくヤンキーも秀才もいない、ちょうどいい高校へ入れました。

その後、親の経済力のおかげで、受験勉強などせずFラン私立の大学へ入学しました。

キャンパスライフは、単位取得のために楽な講義をリサーチすることに全力を注ぎ、コンビニでバイトし、その金と時間をゲームに使っていました。

 

このように努力は一切してこなかったので、大学3年のときの就活講座では愕然としました。

就活用の履歴書を書く為の自己分析のときに、自分には何も無かったことに気づきました。

嘘スレスレの誇張表現をふんだんに使い、キャリアセンターのOKを貰った、吐き気のするゴミのような履歴書で4社受けましたが2社は面接で落ち、残り2社はネカフェでサボってドタキャンしました。

30、40社受けて無い内定のゼミメンバーを見て、努力は無駄だと楽な方に解釈して逃げて、4年生の後期は一切就活をしませんでした。

 

ずる賢くも3年後期で卒業単位を取っていた僕は、通学は週1、就活もしていなかったので時間を持て余していました。

そのときに始めたのが、8年弱付き合うことになるゲームセンターのバイトでした。

 

もともとゲーム好き&高校生の頃、チャリンコで色々なゲーセンに通っていた自分からすると、とても刺激的で面白い職場でした。

これでお金も貰えるなんてサイコー!と思って親の扶養から外れないギリギリまでシフトを入れていました。

 

そして、気づいたら大学を卒業してフリーターとなり週5、1日8時間フルで働いていました。

そのまま3年ほどした頃に、新店舗立ち上げの話が出てオープニングスタッフのまとめ役として異動しないかと言われ、異動しました。

新店舗では実働をほぼ取り仕切っており、とてもやりがいと気持ちよさがありました。

1年も経たない頃に、店長やらないかと打診があり、迷いなく店長になりました。

 

しかし、責任者になるというのは思っていた以上に僕には重責でした。

クレーム対応、スタッフ同士の諍い、人手不足による残業。

中でも人手不足だけはどうしようもなかったです。

朝8時に出勤して、途中7時間休憩(という体裁で)で23時までを週6やってました。

イカれてます。でも、変な責任感と体力的にはキツくなかったので続いていました。

 

が、2018年12月10日に心が折れました。

19年間飼っていた愛猫が旅立ちました。

働いてて死に目に会えなかったこと、弱っていたときに特別な触れ合いはしませんでした。

自分は何やってんだろうと思って、辞めるのを決意しました。

 

引き継ぎやらなんやらで、結局9月まで働き、有給消化をして12月に退職という形です。

 

 

退職の意志を伝えてから、接客業への拒否感、人間関係の煩わしさ、手つかずの貯金の存在に気づき、震えました。

笑顔で接客できないし、スタッフも信用できない……自分らしく働けてなかったことに辞めてから気づきました。

未だにクレーンゲームの動画とか見ると気分が悪くなります。テレビのクレーマーなんかも最悪です。

 

 

無職になれてよかったと思います。

ニート(無職)になって1年余りが経過した

2019年12月から無職になりニート生活を送ってきた。

1年と少し経ち、自分の中の心の葛藤や、今後の人生についての考えを整理をしたいと思いブログを作ってみた。

ブログは10年ぶり、大学生の頃にハマっていたオンラインゲームのブログ以来だ。

SNS全盛期、或いは衰退期?の今の時代に、なんでブログ……まだ辛うじて人生に希望を抱いていた10年前を、懐かしく思っている自分がいるのかもしれない。

 

ともあれ、ニートになってからの1年間の振り返り、そして自分が今後どう生きたいのか、眠れない夜に次々と頭を支配していくので吐き出したいと思う。

同じく眠れない夜を悶々と過ごす人の道標に……なんて中二病な考えは持ちたくないが、愚かな底辺の人間がキモい自分語りをしているとマウント取ってもらえれば良いと思う。