おんぶにだっこで生きる

31歳無職の自分語り

8年弱の労働と、辞めた理由。

2019年12月に仕事を辞め、晴れてニートとなりました。

2012年3月に大学を卒業してから、7年と9ヶ月ずっと同じ会社に勤めていました。

ただ、その8年弱の期間は、正社員ではありませんでした。アルバイト→契約社員です。

そうなったのは当然、就職活動に真面目に取り組まなかったからです。が、特に後悔はありません。

就活をしなかったのは必然で、学生時代の生き方を思えば、そうなるに決まっていたからですし、それが自分自身だと思っています。

 

僕の学生時代は努力とは無縁で、工場のラインよりも淀みなく進んでいました。

親の遺伝で頭はそこそこ、なんの苦労もなくヤンキーも秀才もいない、ちょうどいい高校へ入れました。

その後、親の経済力のおかげで、受験勉強などせずFラン私立の大学へ入学しました。

キャンパスライフは、単位取得のために楽な講義をリサーチすることに全力を注ぎ、コンビニでバイトし、その金と時間をゲームに使っていました。

 

このように努力は一切してこなかったので、大学3年のときの就活講座では愕然としました。

就活用の履歴書を書く為の自己分析のときに、自分には何も無かったことに気づきました。

嘘スレスレの誇張表現をふんだんに使い、キャリアセンターのOKを貰った、吐き気のするゴミのような履歴書で4社受けましたが2社は面接で落ち、残り2社はネカフェでサボってドタキャンしました。

30、40社受けて無い内定のゼミメンバーを見て、努力は無駄だと楽な方に解釈して逃げて、4年生の後期は一切就活をしませんでした。

 

ずる賢くも3年後期で卒業単位を取っていた僕は、通学は週1、就活もしていなかったので時間を持て余していました。

そのときに始めたのが、8年弱付き合うことになるゲームセンターのバイトでした。

 

もともとゲーム好き&高校生の頃、チャリンコで色々なゲーセンに通っていた自分からすると、とても刺激的で面白い職場でした。

これでお金も貰えるなんてサイコー!と思って親の扶養から外れないギリギリまでシフトを入れていました。

 

そして、気づいたら大学を卒業してフリーターとなり週5、1日8時間フルで働いていました。

そのまま3年ほどした頃に、新店舗立ち上げの話が出てオープニングスタッフのまとめ役として異動しないかと言われ、異動しました。

新店舗では実働をほぼ取り仕切っており、とてもやりがいと気持ちよさがありました。

1年も経たない頃に、店長やらないかと打診があり、迷いなく店長になりました。

 

しかし、責任者になるというのは思っていた以上に僕には重責でした。

クレーム対応、スタッフ同士の諍い、人手不足による残業。

中でも人手不足だけはどうしようもなかったです。

朝8時に出勤して、途中7時間休憩(という体裁で)で23時までを週6やってました。

イカれてます。でも、変な責任感と体力的にはキツくなかったので続いていました。

 

が、2018年12月10日に心が折れました。

19年間飼っていた愛猫が旅立ちました。

働いてて死に目に会えなかったこと、弱っていたときに特別な触れ合いはしませんでした。

自分は何やってんだろうと思って、辞めるのを決意しました。

 

引き継ぎやらなんやらで、結局9月まで働き、有給消化をして12月に退職という形です。

 

 

退職の意志を伝えてから、接客業への拒否感、人間関係の煩わしさ、手つかずの貯金の存在に気づき、震えました。

笑顔で接客できないし、スタッフも信用できない……自分らしく働けてなかったことに辞めてから気づきました。

未だにクレーンゲームの動画とか見ると気分が悪くなります。テレビのクレーマーなんかも最悪です。

 

 

無職になれてよかったと思います。